旬のうまいもの特集
特集 第2回 茨城シェフズダイレクトツアー

食料が飽和している時代に、たいせつな事はつくる人、たべる人同士の意識や志のバトンタッチではないかと思います。
そんな視点で考えてみれば、自分を含めて一体どれくらいの人が産地を知り、風土を知り、人を知り、たいせつな食事ができているのだろうかと考えます。
いばらきシェフズダイレクトツアーは、単に美味しいもの珍しいものの紹介ではなく、そのバトンを誰にタッチできるかが本当にたいせつな事なのだと思っています。
プロデューサー
沼尻 真一
茨城県つくば市出身。セツモードセミナー、kobayashi Directionを経て株式会社沼尻を設立。
つくばハーブ農園を主宰し、自らも農と食を考える。
ホームページ:http://www.numajiri.ne.jp

常陸大宮市の美和地域では、地元近辺の山林から伐採した原木を使用した原木栽培が盛んで、県主催の「きのこ品評会」では、毎年上位を独占するほど良質な原木しいたけの産地として知られています。
この地で親子2代にわたり原木栽培にこだわり生産を続ける河西さんから、原木しいたけの特徴や良品の見分け方、そして栽培方法などを伺いました。
原木栽培は手間がかかり、大変な作業を要するということを、料理人の皆さんも肌で感じた様子。

河西さんの奥様が用意してくれた「ガーリックマヨネーズ焼き」と「手鞠寿司」を試食。
その場で新たなしいたけレシピを直伝する料理人もいらっしゃり、生産者との交流が深まりました。
「生でも美味しいんです」という河西さんの言葉に、もぎたてのしいたけに一斉にかぶりつく料理人の皆さん。
料理人の方々の強い探求心に生産者も驚かせられる一幕も!!


続いて一行は、山あいの傾斜地に広がるそば畑を眺めながら、「常陸秋そば」の発祥地である常陸太田市の赤土町(旧金砂郷町)へ。
「常陸秋そば」は、この地域に栽培されていた「金砂郷在来種」から選抜育成の方法により誕生した茨城県の奨励品種です。
そばが持つ特有の香りや風味が良いことから、今では「品質日本一」「玄そばの最高峰」などと評されるほどになりました。

赤土町は、多くの農家にとって大切な種を栽培する役割を担った地域。
現在も常陸秋そばの種子となる種そばが生産者達の手によって栽培されています。
まずは、JA茨城みずほ営農アドバイザーである秋山さんの案内で、そば畑を見学。
小石混じりの赤土の様子を直接土に触れながら確認する料理人の皆さん。
続いて、採種農家である名田部さんのお宅に移動し、常陸秋そばの由来や収穫方法などの説明を受けました。

地元で育まれてきた郷土料理「つけけんちん」をいただきました。
「つけけんちん」とは、この地域ならではの独自に生まれたそばの食べ方で、地元で採れた野菜類と味噌を加えて炒めた具を出し汁で煮て、醤油と味噌で味付けされた具だくさんのけんちん汁に太めのそばをつけて食べるもの。
地域の食文化に触れたひとときでした。


ツアーの最後に訪問したのは、赤ねぎの産地である城里町(旧桂村)。
城里町の中でも圷地域を中心に明治時代から栽培されてきた赤ねぎ「レッドポアロ-」は、茨城県の伝統野菜の一つに数えられています。
那珂川流域の沖積土壌の畑で育った「レッドポアロ-」は、何といってもこの鮮やかな色が魅力。この赤い色の成分はアントシアニンで、抗酸化作用があるといわれています。

レットポアロー研究会会長の木村さんから、栽培の歴史を伺った後は、収穫から出荷するまでの作業を見学。在来種ゆえ、種は代々自家採取。
在来種は、品種改良がされていないので、虫や病気にも弱く、また赤い皮を傷つけてしまうことから機械での収穫はできません。
今もすべて手作業で一本一本皮を剥き、泥を拭き取り大事に出荷されています。
目見麗しく、葉まで甘くてやわらかい「レッドポアロ-」は、特に加熱すると甘みが増し、とろりとした食感に。
ぬたや甘酢漬けにした試食をいただいた後は、その調理法などについて活発に意見を交換しあう姿もみられました。


参加いただいたシェフの方々からは、
・生産者の皆様の「人知れぬ努力」と「惜しみない愛情」が肌で感じられるツアーでした。
・生産者と話すことで食材に対する思いや知識を得ることができ、またツアーに参加した調理師の方とその場で食材の活用方法の意見交換ができよかったです。
・生産者の方の直接の声を聞く機会はなかなかないので、参加できてよかったです。
といった感想をいただきました!
二期倶楽部直営レストラン にき亭 |
神奈川県横浜市西区高島2-18-1 横浜そごう 10F ・WEBサイト |
総料理長 斉藤 伸弥 氏 |
株式会社東京美々卯 渋谷マークシティ店 |
東京都渋谷区道玄坂1-12-5 渋谷マークシティ RESTAURANTS AVENUE 4F ・WEBサイト |
店長 佐藤 俊三 氏 |
京料理 竹生 | 東京都世田谷区奥沢7-12-2 | 二代目主人 射庭 基嘉 氏 |
北鎌倉 精進料理「鉢の木」 |
神奈川県鎌倉市山ノ内350 ・WEBサイト |
料理長代理 布上 賢一 氏 |
GUSTO(グースト) | 東京都目黒区大橋2-8-21 ・WEBサイト |
オーナーシェフ 小松 岳史 氏 |
ふらんす割烹 味館トライアングル |
東京都千代田区平河町1-3-7 平河ビル1F ・WEBサイト |
オーナーシェフ 佐藤 豪 氏 |
シンスケ | 東京都文京区湯島3-31-5 YUSHIMA3315ビル |
女将 矢部 清子 氏 |
株式会社銀の鈴社 | 神奈川県鎌倉市雪ノ下3-8-33 | 企画広報部長 柴崎 由紀 氏 |
五丁目千 | 東京都港区南青山5-8-11 BCプロパティビルB1 ・WEBサイト |
料理長 芝崎 裕介 氏 |
三次郎 | 埼玉県さいたま市見沼区深作1-29-3 ・WEBサイト |
代表 小島 一浩 氏 |

第二回"いばらきシェフズダイレクトツアー"は、11月29日に行われました。今回は、さらに多くの料理人の方がご参加くださり、関係者を合わせて20名という大人数。県北の常陸大宮市の原木椎茸、常陸太田市の"常陸秋そば"、城里町の赤葱"レッドポアロー"を巡ります。
一行を乗せてつくば駅前を出発したバスは、最初の目的地"河西しいたけ園"を目指して一路常陸大宮市高部へ。初対面の方が多いなか、前回のツアーの報告や自己紹介をするうち、車内は次第に和やかなムードが漂います。

椎茸を生で食べた!
高速道路をおりたバスは、町を抜けて山間部へ。里山のゆるやかな麓に住宅が点在し、ときおり見かける製材所が、いまも林業が盛んなことを教えてくれます。おそらく生活の不便もあるとは思いますが、そういった光景から伝わるのは心地のよい調和美。温かく包み込むような静謐(せいひつ)が、日本人の原風景として郷愁を誘うからではないでしょうか。
"河西しいたけ園"では、ご主人の河西和文さんが、6棟のハウスで椎茸を通年育てています。以前は首都圏の市場出荷が中心でしたが、中国産に押されたことに加え、複雑な流通システムで劣化するケースが目立ち、平成7年にオープンした道の駅"北斗星"での直接販売のみに踏み切ったとのことです。これすなわち、自分が作ったものに対する自負の表れ。量ではなく質を売ろうとする確たる姿勢に頭が下がります。県が主催する"きのこ品評会"で何度も最優秀賞を獲得した実績も、こんなところに負うのではないでしょうか。
河西さんが作るのは原木椎茸のみで、とくにいまの時季は自然子と呼ぶ露地ものが美味とか。ハウスの入口で籠いっぱいに入った自然子の大きいこと!いっせいに喚声が上がりました。奥には、きちんと組み上げられたたくさんの原木のやぐら。まだ生まれたての赤ちゃん椎茸や黒々と傘を広げた椎茸がそこかしこに付いています。黒い傘の上に白い輪が浮かぶのを輪皮(りんぴ)といい、くっきりしているほど良品だそうです。
「摘み取ると、椎茸の声が聴こえますよ」と河西さん。おそるおそる輪皮の美しいのを狙って取ると、たしかにポチッという可愛い音を立てるではありませんか。なんだか愛おしくなるからふしぎ。「生でも美味しいんです」という言葉に、皆いっせいに齧り付きました。口の中に広がったのは、茸特有の芳香とほのかな甘み……初めての嬉しい体験。後日、河西さんは「生で食べられますと言ってもだれも食べないんですが、さすが料理人の方たちは違いますねえ。こちらがびっくりしました」としきりに感心していました。
つづいて河西夫人が用意してくれた料理を試食。ガーリックマヨネーズ焼きと、甘めに煮含めた椎茸の手鞠寿司の二品は、それぞれに原木ならではの風味が生きていました。
よくご存知のように、椎茸には原木栽培と菌床栽培があります。しかし、現在、原木は減少傾向。菌床との割合は7対3と聞いて謎が解けました。というのも、少々割高でも歯触りや味わいがともに断然よいので原木を買うことにしているのですが、まったく置いていない店もあるのが不満だったからです。
ところで、河西さんから聞いた原木椎茸栽培の手順は以下のとおり。
① ナラやクヌギの、樹齢20~30年くらいのものを選ぶ。
② 伐採して1か月間ほど山中に寝かせ、適度に水分を抜く。
③ 長さ90センチに切り揃えて植菌ドリルで菌を植える。
④ 半年くらい経って表皮の下に茸の芽ができたら、水に約6時間浸けると椎茸が出る。
⑤ 採取後は原木を40日間休ませたのちに、再び水に浸けて椎茸を栽培。これを繰り返すと、10回くらいまでは椎茸を採取できる。
自然子のほうは、原木を山のしかるべき場所を選んで伏せ込むという方法で栽培。秋子と春子があり、ほとんどが乾し椎茸に加工されます。椎茸菌はなんと500種類もあるそうですが、河西さんが使うのは8種類ほど。しかし、菌にも寿命があって長くても10年。したがって、常時新しい菌が作られて世代交代を繰り返すといいます。
それにしても、これほどのご苦労があることを初めて知りました。「菌床はもっと簡単に大量に生産できるんです。私も5年間くらい菌床を作っていましたが、儲かりましたよ」と笑う河西さん。だが、菌床は採取後に、どうしても雑菌が入りやすいので傷口を消毒する必要があるそうです。もちろん法で定められた範囲での殺菌剤の使用ですが、きっと河西さんの胸の奥底に、どこか釈然としない部分があったに違いありません。父上の「俺やお前はともかく、孫には食べさせたくないなあ」という嘆息まじりの言葉に後押しされてきっぱり止め、すべて原木に切り替えたと話してくれました。
河西さんのように、愛する者に食べさせられるかどうか、という物差しを持つ人が日本の一次産業の現場にもっと増えることを願わずにはいられません。

赤土を揺籠に進化した"常陸秋そば"
早くも原木椎茸のメニューを思いついた方もいて、感動の余韻を乗せたバスは"常陸秋そば"を訪ね、つぎの目的地へ向かいます。
常陸太田市の赤土町(旧金砂郷(かなさごう)町)は、江戸時代からタバコを栽培し、蕎麦と輪作していました。蕎麦は、連作障害を防ぐためにタバコの後作として定着したそうです。
一行は、まず、JA茨城みずほ営農アドバイザーの秋山實さんのご案内で、収穫後の蕎麦畑を見学。そこは、かなりの量の小石が混じった赤土で素人目にはよい土には見えません。これで本当に良質の蕎麦が育つのかしらと、危ぶんでしまいました。疑問を抱きつつ、採種農家の名田部治さんのお宅へ移動。採種生産部会会長の関栄一さん、副部会長の海老根克己さん、金田正美さんにスライドを交えながら説明していただきました。
もともと、この辺の土地は小石混じりの赤土で、それが赤土町という名のゆえん。しかし、これこそが、水はけのよいことが条件の蕎麦には最適の土壌だそうです。なるほど!これで疑問は氷解しました。くわえて昼夜の温度差が大きいことや霧が発生しやすい地形も、味のよい蕎麦が育つ絶好の環境。
しかし、タバコの終息につれて、地域経済衰退というお定まりのパターン。これを憂えて、特産の蕎麦の特化に着手したのが、当時、農業試験場の研究員だった秋山さんでした。いわゆる在来種から選抜した種を淘汰することを繰り返し、最高品質の蕎麦を創出。"常陸秋そば"という名品の誕生です。
いまでこそ全国の有名店から引く手あまたで、押しも押されもせぬブランドとして確立しているものの、現在のような品質にするまでにはたいへんなご苦労があったとか。試験栽培は、他品種との交雑を避けてハウスの中で行われるのですが、虫媒交配の蕎麦は放っておけば実るというわけにはいかず、蜜蜂を放すなどの労もあって、完成までに6年もかかったそうです。晴れて県の奨励品種として採用されたのが昭和60年。"常陸秋そば"は、秋山さんにとってわが子も同然であること、余人とはいえ容易に推察できます。
しかし、これで万々歳というわけではなく、意外にも蕎麦は、世代を重ねるにつれて特性が弱まるというデリケートな作物。もっとも重要なのが種の管理だそうです。農業研究所で原原種を生産、県穀物改良協会で原種を生産、さらに採種農家が種子を生産し、一般の栽培農家に頒布するというプロセスですが、ワンクールに3年を要します。しかも、各段階で特性と異なる要素を徹底的に排除。こういった苦心があってこそ品質が保持できるわけです。
貴重なお話をうかがったところで、「おなかが空いたでしょう。まずは召し上がってください」との言葉を合図に"つけけんちん"が運ばれました。"つけけんちん"とは、地元の多彩な野菜を使って仕立てたけんちん汁に、茹でた蕎麦切りを付けながら食べるという、むかしながらの方法。素朴ながら蕎麦の香りや甘みが引き立ちます。早朝3時から用意してくださったと聞けば、味わいもひとしお。産地ならではの家庭の味は、料理人の方々にも大好評でした。
お見受けしたところ、採種農家の方々はどなたもかなりのご高齢。にもかかわらず、驚くほどバイタリティーにあふれています。"常陸秋そば"は、いってみれば食の文化財。郷土の誇りでもあるでしょう。その担い手としてのプライドや使命感が、かくも生き生きとさせるのかもしれません。
また、皆さんの言葉の端々からは、かれこれ30年以上も"常陸秋そば"に関わってきた秋山さんに対する絶大な信頼が窺われます。とどのつまりは、大切な食文化を守れるのは組織だけではなく、そのなかで支える個人に負うところが大ということをあらためて痛感。願わくは、守り継いでくれる後継者が現れることを祈るばかりです。

"レッドポアロー"は城里町の歴史そのもの
バスは、常陸太田市を後にして南下。向かうは"レッドポアロー"産地の城里町です。"レッドポアロー"とは、その名のとおり赤葱のことで、城里町の在来野菜。軟らかくて甘みがあり、美しい赤紫色が特徴ですが、この色はアントシアニンの成せる業で抗酸化作用があるといわれています。
日差しも傾き始めたころ、"レッドポアロー"の畑に到着。ここは"レッドポアロ-研究会"会長の木村昊(ひろし)さんの畑です。
原木椎茸や蕎麦の産地を見てきた目には、広々と開けた景色がなんだかとても新鮮。一面の葱畑に西日が柔らかく照り映えます。
料理人の方々が目ざとく見つけたのは、間引いて土手に打ち捨てられた極細の"レッドポアロー"。おそらく規格から外れたものなのでしょう。さっそく拾い上げ、表皮を剥いていっせいに齧り始めるところなど、さすがプロフェッショナルです。きっとこういう貪欲なまでの探究心があるからこそ、人を感動させるような料理が生まれるにちがいありません。
赤葱の歴史は、明治時代にさかのぼります。ここ旧桂村の圷(あくつ)地域で生産されていたことから"圷葱"の名で知られていました。独特の発色は、遺伝的な要素だけではなく栽培条件にもかなり影響されるとか。つまり、この地でないと生産できない希少価値の葱ということです。そこで、約25年前に自家用に栽培していた農家が中心となって"赤ネギ研究会"を発足させ、"レッドポアロー"の商品名で出荷するようになりました。
栽培地域を那珂川流域の沖積土壌の畑に限定し、9月下旬に種を蒔き、3月下旬に仮植、6月から7月にかけて定植、収穫は11月中旬ころから2月上旬ころまでというのがおおよそのスケジュールです。仮植と定植の時点で、発色のよいものだけを選別。種は研究会で共同採種して、つぎの季節に備えます。もともと沖積土壌には地力がありますが、さらに堆肥を施し、深く耕して土を軟らかくしたり、分櫱(ぶんけつ)がさかんなので株と株の間隙を充分にとったりします。また、成長に応じて土寄せを4~5回行い、発色部を長くするなどの工夫もしなければなりません。普通の葱畑よりも畝が高いことに気づいていましたが、そういうことだったのかと納得。文字どおり、手塩にかけて育てられているわけです。
作業小屋では、木村さんの奥様が"レッドポアロー"を一本一本手にとってひげ根をカットし、タオルでこすって泥を落とすという、出荷準備を黙々とこなしていました。独特の色も皮3~4枚までで、下はふつうの葱と同じ白。ていねいに扱わないと、せっかくの美しい赤紫色が台無しになります。
それにしても大変な作業。料理人の方々から「我われには畑から抜いたままで充分。それに、さっきの細い葱は規格外かもしれないけど、細いからこその利用法もあるのでぜひ欲しい」という声が上がりました。たしかに泥付きのほうが鮮度を保てるでしょうし、生産者の方たちの負担も軽減されるはず。それに、売り物にならないと思っていた葱にも価値があることは、料理の現場ならではの貴重な意見。料理人の方々の合理的な見方に倣って意識を変えれば、私たち一般消費者も在来野菜の存続に少しは貢献できるのではないでしょうか。
さて、木村さんのご自宅の庭に移動して"レッドポアロー"の料理の試食です。ご用意いただいたのは、甘酢漬けや、茹でただけの葱。茹で葱は、緑色の葉の部分と、葉(よう)鞘(しょう)といわれる茎の部分が別に盛られ、甘味噌が添えられていました。それぞれ甘味噌をつけて食べると、"レッドポアロー"の特長である優しい甘みが際立つという寸法。また、甘酢漬けのほうは、酢の効果でいっそう鮮やかに発色して見た目にも美しく、祝い膳などにもうってつけ。さっそく試してみたいものです。
陽がいよいよ傾き、空もこころなしか"レッドポアロー"色に。こもごもの思いを乗せ、バスは振り出しのつくば駅へと向かいました。


文 八巻 元子さん
2002年より料理雑誌四季の味 編集長に就任
現在は、フリーランスの文筆業と食文化研究家として活躍中。
三男二女の母、孫六人。
仕事のモチベーションは、常に、孫やひ孫の世代へ安心して手渡せる食文化をということ。
和食器の愉しさを広めるため、提案型の器展を主催。
神奈川県鎌倉市在住。

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