茨城をたべよう いばらき食と農のポータルサイト

【安全で高品質な茨城の食をご紹介】
茨城県農林水産部販売流通課

挑戦 挑戦

おいしいトマトを食べてもらいたい!

 鉾田市で昭和54年から大型ハウスでのトマト栽培に取り組んでいる伊藤健さん。 伊藤さんが栽培するトマトは、「いとうさんちのとまと」というブランド名で地元スーパーとの直接契約で販売されています。
 栽培を始めた「いとうさんちのトマト」は、築地市場に出荷し都内高級青果店で高額で販売されていました。市場出荷を始めた当初、市場では「いとうさんちのトマト?そんなへんてこな名前のトマトは、東京の市場では売れない」と言われ、「減農薬を目指しています」といえば「他の出荷物が農薬をいっぱい使っているイメージを与えてしまう」などと言われたり・・・何を言っても何をしても叩かれ、「まさに逆境の連続だった」と当時を振り返る伊藤さん。しかし、出荷を開始して2~3年は変わり者扱いだった伊藤さんのトマトは、やがて「農薬を減らして栽培を始めた先駆者」と市場関係者に評価され、市場におけるトマトのなかで最高価格で取引されるまでになります。




 ところが、都内のセレブと呼ばれる人たちに、高額な輸送費や箱詰費用をかけて、高額の値を付けることにだんだん違和感を覚え始めた伊藤さんは、 市場との取引きを止めてしまいます。
 「周囲にはかなり驚かれましたよ。せっかく高額で買ってくれて、売上げは安定していたわけですから。でも、トマトを作っていくなかで、わずかしか採れない最高品質のトマトに多額のコストをかけて販売するより、地元の人達にできるだけ安全でおいしいトマトをたくさん食べてもらいたいという思いが強くなりました。これからは都会のセレブより近所のおばちゃんだ!(笑)ってね。」
 地元スーパーと向き合うようになってはや22年、地産地消が叫ばれるだいぶ以前から実践していた伊藤さんは、常に世の中の動きを読み、その時代のトレンドを誰よりも早くつかむことに専念してきたのです。


減農薬栽培の先駆者は奥様想い

 そもそも減農薬栽培のきっかけは、作業を一緒に行っている奥様の手荒れだったそうです。手荒れに苦しむ奥様の様子を見て、伊藤さんは、当時は必要不可欠と言われていた農薬を減らしたトマトづくりに挑戦し始めました。「周囲からは変人扱いでしたよ。今でこそ減農薬、減化学肥料栽培は増えてきているけれど、当時は農薬を使わないで野菜を作るなんてありえないと農家はみんな思っていましたから。」
 農薬に頼らない病害虫防除技術の確立と徹底した栽培管理により農薬の使用回数を最小限に抑えることに成功し、安全性はもとより、糖度と酸味のバランスに優れた、飽きの来ない野菜として最高の味を目指したトマトが完成。奥様の手荒れも改善しました。
「今は安全・安心は当たり前。その次にくるのは信頼だと思うんです。」 伊藤さんの作ったトマトなら、と信頼して食べてもらえることが、トマト作りを続けていく中で一番の喜びだと伊藤さんは言います。



金太郎飴のようなトマト!?

 トマトと言えば夏は北海道、冬は熊本県が有名ですが、そんな大産地にも負けない、 例えて言うなら"金太郎飴"のように一年中おいしいトマトを届けたいと伊藤さんは語ります。
「うちのトマトは糖度も常に7度をキープできるように室温や肥料を調整しています。いつ食べても同じ味なのがいとうさんちのトマト。他のトマトと比べて少し値段は高いけれど、たくさんのお客様においしさで選んでもらっています。」



~趣味~ バカが付くくらいの釣り好き

 家族からは「バカが付くくらいの釣り好き」と言われるほど、釣りが大好きな伊藤さん。自宅からは海が近いため、週に一度の休日には雨の日も晴れの日も、釣りに出かけるそうです。
 釣り場は主に鹿島灘全域。伊藤さんのマル秘ポイントがあり、季節や海の状況によってポイントを変えるそう。「トマト作りで悩んだ時も良い気分転換になります。まったく違うことに集中すると、頭の中がリセットされるような感じで。」と伊藤さん。
 おいしいトマト作りの秘訣は、釣りが欠かせないスパイスとなっていそうです。

 近年伊藤さんは、自分で築いてきたトマト作りのノウハウをご子息にはもちろん、"伊藤さんの元で学びたい"とやってくる若者に継承していくことにも力を入れています。
「自分ひとりでできることは限られています。自分と同じレベルでモノを作る人を増やし、チームを作り、トマトで国を動かしたいですね。 同じコンセプトを持った皆がいれば、何か大きな事ができるはずです。」 伊藤さんのトマトにかける技術と情熱は、それを共有し学びたいと集う若者たちと共に全国に広がり続けています。
会社情報

スーパーセイミヤ全店

さんて旬菜館

TOP